星野仙一

星野仙一が死去!!!『闘将』と呼ばれた男!!

投稿日:

星野仙一さんが亡くなりました!

70歳という若さで信じられません。

病気の経過とか、現在の姿とか、何もニュースで報じられなかっただけに、急すぎますよね。

星野仙一さんといえ、「燃える男」「闘将」「巨人キラー」・・・と異名をたくさん持つすごい方。

少し調べてみました。

星野仙一とは

プロフィール
国籍 日本
出身地 岡山県の旗岡山県児島郡福田町
(現・倉敷市)
生年月日 1947年1月22日
没年月日 2018年1月4日(70歳没)
身長
体重 180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1968年 ドラフト1位
初出場 1969年4月13日
最終出場 1982年10月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
岡山県立倉敷商業高等学校
明治大学
中日ドラゴンズ (1969 - 1982)
監督・コーチ歴
中日ドラゴンズ (1981 - 1982, 1987 - 1991, 1996 - 2001)
阪神タイガース (2002 - 2003)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2011 - 2014)

燃える男

星野仙一さんの異名の一つ目「燃える男。」

星野仙一さんは、倉敷商から明大を経て68年ドラフト1位で中日入団しました。

中日一筋でプレーし「燃える男」と呼ばれました。

闘将

星野仙一さんの異名の二つ目「闘将」

監督時代の代名詞は「鉄拳制裁」

「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」

そういう理念のもと、自分の球団の選手にも、相手球団にも厳しい人でした。

そんな姿についたのが「闘将」です。

巨人キラー

星野仙一さんの異名の3つ目「巨人キラー」

「打倒・巨人」その理念の貫き通す人でした。

星野仙一さんはドラフトでふられ、憧れの球団は「生涯のライバル」に変わりました。

中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げ、巨人戦は歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げた。沢村賞を受賞した74年にはV10を阻止して優勝したが「日本シリーズは邪魔。俺は巨人を倒したからいいんだ」と言い切ったほど、巨人を倒すことに執念を燃やしました。

「強い巨人に勝ちたいんや」。その思いは引退後も変わることはありませんでした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

調べてみると、星野仙一さんってこんなすごい人だったんだと驚くばかりでした。

自分は中日監督のときの星野仙一さんしか知らなかったため、より好きになりました。

急に亡くなってしまって悲しいばかりですが、今は安らかに眠っていただけることを願うばかりです。

スポンサードリンク

-星野仙一

Copyright© 2018年 花粉情報局 , 2018 All Rights Reserved Powered by STINGER.